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| はじめにお読みください |  病 歴  |  プロフィール |

1994年(32歳)

再び通院し、薬も真面目に飲むようになって、病状も落ち着きました。

仕事の方も、あまりにも過酷な会社は、辞めることにしました。
当時は、SE・プログラマなら、いくらでも転職先はあったので、
かなり条件の良い会社に移ることができました。
契約社員ということで、基本的に残業なし、仕事もやりがいがあり
お給料も良し、人間関係も良好。申し分のない環境になりました。

仕事の他に、趣味を楽しむ余裕もでき、プールに通ったり、
エアロビクスをやったりもしました。
子供のころ運動していなかったので、基礎体力がなくて
エアロビは、死ぬんじゃないかと思うほどに疲れたけど。

でも、思いっきり運動して、そのあとサウナに入って、
汗いっぱいかくと、すごく気持ち良くて、とっても楽しかった。


そんな優雅で楽しい生活をずっと続けたかったのですが、、、
妊娠して、結婚退職することになりました。

本当なら、出産ぎりぎりまで、きちんと仕事したかったのに、
妊娠によって、肛門周囲膿瘍がひどくなり、
ひたすら仕事を休みまくって、最後は本当にいい加減な
出勤ぶりとなってしまいました。。

たまたま忙しくない時期だったので、許されましたが、、、
それに、隣の席の男子社員(派遣)も、マヤ以上に休むし、
遅刻もしまくってくれてたので、目立たずにすんだというか、、^^;
彼、十二指腸潰瘍だとか言ってたけど、痔もあるって言ってたので
もしかしてクローン病?なんて思ったけど、違ったみたい。

仕事もひどかったけど、楽しかったマタニティ・スイミングも
途中でリタイアしたのも残念だったなぁ。。

その時は、肛門専門科に行って切開してもらったのですが、
切開したあと、お尻の痛いところに何かが付いていたので、
何だろう?と思って引っ張ったら、ズルズルと出てきて
取れちゃいました。

排膿のためなのか、切開したところに筒状の紙みたいなものが
入ってて、こんなもん入ってたら、痛いに決まってるじゃない。。
次の日に先生に、「取っちゃいました~」と報告したら、
「いいですよ」だって。
もうちょっと、ちゃんとした説明があってもいいと思うんだけど、
聞かなかったマヤが悪いってことか。
医者って忙しいから、聞けば答えてくれるけど、聞かなきゃ
説明しないってのが基本姿勢だもんね。


その後、妊娠中期までは、ずっと肛門周囲の調子が悪くて、
こんなんで、ちゃんと出産できるんだろうかと、心配だったけど、
出産が近付いてきたら、不思議なことにお尻の調子が、
すっかり良くなりました。
ホルモンのバランスのせいで良くなったのかもしれません。

潰瘍性大腸炎の症状は、ほとんど変化なしで、
薬は相変わらず、サラゾピリンとプレドニン20ミリほどを
飲み続けていましたが、子供は無事、元気に生まれてくれました。


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1987年(26歳)

それにしても、このころのマヤの通院は、相当いい加減でした。

一応、薬はもらいに行って診察してもらっていたけれど
先生に「どうですか?」と聞かれたら、
「変わりないです」と答えるだけ。
たまに答えを変えた方がいいかな、と思って、
「いいです」と適当にウソ言ってみたり。

「変わりないです」というのも、状態が良いという意味ではなくて、
相変わらず、粘血便が出て回数も5回くらいはトイレに行ってて、
いつもしぶり腹だったけど、まあ、そんなもんです、っていう意味。

明らかに血便なのに、いちいち検便検査してくれるので、
なるべく血のついてないようなところを選んで採取するというのが、
マヤのやりくちでした。。。意味ないですね。。
(親身になってくれているN先生に申し訳なかったです。反省。。)

良いふりしても、何も得られるものはないんだけど、
悪いと言ったところで、治してもらえるわけでもないので、
先生を困らせても仕方ないので、そんなことしていたのかなぁ。。
今なら、自分のありのままをさらけ出せるけど、
当時は、まだ若かったから、自分を良く見せたいというような
気持も働いていたのかもしれません。


とにかく、いつまで経っても、さっぱり症状は良くならないし、
薬と縁の切れない生活にも、徐々に嫌気がさしてきていました。
それで、、、
「もし、薬(ステロイド)を飲まなかったら、どこまで悪化するのか、
死んでもいいから試してみよう、、、」
と、ほとんどすてばちで、実験してみました。

実験結果は、、、、、

どこまでも、どこまでも、、、果てしなく、悪化しました。。。


ある程度以上は、悪化しないんじゃないかとタカをくくって
いたんだけど、さすが、相手は難病ですね。
本当に、もう、どうしようもないくらいに悪化していくのです。

そんな状態で、ものすごく体調が悪くて、
「もう死んでもいいや・・・」なんて、本気で考えていたとき、
それまで音楽が流れていたFMラジオが、突然、ザーザーと
雑音になり、混線したようになって、声が流れてきました。

ザーザーの中から、どうにか聞き取れた声は、
「親より先に、、死んだら、、、親が悲しむ、、、」
と、言っていたようです。

そのとき、ハッと気がつきまいた。
自分だけの命じゃないって。
そうだ、親を悲しませてはいけないんだよね。

それにしても、この雑音、最初は、タクシーの無線が混線
したのかな?とも思ったのですが、、、どう考えても不思議。
あれは絶対、目に見えない、守って下さっている方からの
メッセージに違いない!と、今では確信しています。


そのメッセージを聞いて我に帰り、病院へ行って検査したところ
今までは下行結腸だけだった炎症が、横行結腸~上行結腸にまで、
つまり、大腸全体に広がってしまっているとのことでした。
検査時にステロイド注腸をして、後は、プレドニン増量です。
先生からは、「どうして、もっと早く来なかったの」と。。。

病院へ行くことによって、精神的にも、本当に楽になりました。
N先生も看護婦さんも、とても親身になってくれる良い方だったので、
「もう、一人で我慢しなくてもいいんだ」という気持ちになり、
それだけでも、安心して泣けてきました。

自分一人で生きているつもりでも、人間って、たくさんの人や
目に見えないパワーにも守られて、生かされているのですね。


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1987年(26歳)

マヤの大学は文系でしたが、卒業後は手に職をつけたくて、
コンピュータープログラマーとしてソフト開発会社に就職しました。
そのころの新聞の求人欄にはいつも「SE・プログラマー募集」
と出ていて、当時は花形的職業ともいえる憧れの仕事でした。

でも、その一見頭脳労働のようにみえるカッコイイ仕事が、
実は、とんでもなく過酷な、肉体労働の世界だったのです。。。

肉体労働といっても、身体を使っての重労働ではないけれど、
単純作業も多く、作業量が膨大で体力勝負的な仕事だったので、
マヤたちは、自分の仕事内容を「ちから仕事」と呼んでいました。
毎日、夜11時くらいまで残業したり、出向や派遣も多く、
長期出張も、いつものことでした。

ホテル住まいの長期出張中は、ホテルの朝ごはんが出る前に
出勤しなければならず、夜も、ケンタッキーなどで済ませました。
といっても、田舎だったので、仕事が終わってからでは、お店が
開いていないため(コンビニも今みたいにない時代だった)、
昼休みに買っておいた、ケンタッキーを、夜とか朝に食べる。
冷めたポテトのまずさが、虚しさを一層引き立ててくれたものです。。

そんな生活で、肉体的疲労と精神的ストレスもピークだった
長期出張中のある日、マヤは、肛門に違和感を感じました。
どうもシコリのようなものがある、、痛い、、、日に日に痛くなる、、、
そして、歩くのも大変なくらい、痛くなってきました。

とにかく痛くて座っていられないので、仕事も上の空。
でも、切れ痔やイボ痔とは違って、肛門の横が腫れているけど、
排便時はそれほど痛くないので、何だかよくわからず、
「これって痔? それとも、バイ菌でも入って化膿した?」
って感じでしたが、これが肛門周囲膿瘍なんだということが、
後からわかりました。

出張から戻って、かかりつけの内科へ行ったら、
「外科を紹介するから、切開して排膿してもらうように」
とのことでしたが、一晩寝て、次の朝、目が覚めたら、、、
ウソみたいに全然痛くない!!??

アレ???と思ったら、なんと、大量の膿が出ていました。
(汚い話ですが、下着からあふれそうなくらいでビックリ・・・)

排膿してしまうと、ウソのように楽になるんですね。
それで、切開してもらわずにすみましたが、
その後は、痔ろうになってしまい、少し疲れるとすぐに
同じところが腫れてくるというのが習慣化してしまいました。
そのうち、腫れる場所も、2~3か所に増えてきました。

痔ろうって、繰り返しているうちに、膿の通り道が
どんどん複雑になって、手術しないと治らないんですよね。。


そんなあたりから、また、UCの方も連動して調子が悪くなり、
ステロイドを服用するようになり、それ以来、ずっと離脱できない
状況になってしまいました。
プレドニン20ミリも飲めば、すっかり良くなるけれど、
どうしても、15ミリ以下にはできないといった具合です。

でもまあ、そのくらいなら、副作用もさほど気にならなかったので
そのまま延々と何年も、ステロイドに頼る生活を送り続けました。

仕事をしている限り、ストレスは溜まる一方なので、
ステロイド離脱は無理だな、、、と、ほとんど諦めの世界。
少量服用していれば、身体も楽なので、まぁ、仕方ないね、、
という感じでした。


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1982年(20歳)

大学受験も、めでたく希望大学に合格することができ、
晴れて、憧れの女子大生になりました。
親元を離れての自炊生活がスタートです。

最初の1年間くらいは、何もかもが新鮮♪
自炊することも楽しくて、あれこれ真面目に作っていたのですが、
2年目になり、生活に慣れてくると、食事の方は、すっかり
手抜きになってきました。
今でこそ、サプリメントおたくですが、当時はそんな便利なものも
なかったので、栄養が偏り、体調を崩すハメに陥りました。

なんせ、冷蔵庫には、ビールとチーズしか入ってないという、
まったく食生活には無頓着だったので、体調崩して当然です。
(別に酒好きじゃないんですけどね。何だったんだろう。。。)
とにかく、自分が難病患者だという意識がなかったんですね。

恵命我神散(けいめいがしんさん=漢方薬)だけは、
大学に入っても飲んでいたのですが、当時4~5千円の金額が、
一人暮らしの学生には、だんだんと負担になってきて、
ついにそれも、やめてしまいました。


そんな生活をしていて、まずあらわれた症状は、関節痛でした。
大腸の具合は、特に悪化した様子もなかったので、
潰瘍性大腸炎とは関係のない関節痛だと思って、
近所の整形外科に、友達が連れて行ってくれました。

自炊仲間の友達は、足が痛くて買い物にも行けない私のために、
食事を作って持ってきてくれたりして、本当にありがたかったです。


でも結局、整形外科では原因がわからず、湿布をくれただけ。
自分でも、「もしかして成長痛かも?」なんて、都合良く考えていましたが、
とにかく歩けないほどの痛さで、どうしようもなかったので、
以前の主治医のO先生に電話したところ、すぐに入院させてくれました。
4年間も入院していた懐かしの病院です。

入院してみたら、当時の友達(腎臓病)も入院していたりして、
聞けば、けっこうみんな、出たり入ったりしているということで、
マヤだけじゃなかったんだ、、と知って、少しだけ気が楽に。

マヤは、UCの悪化ということは認めたくなかったのですが、
入院してから、ほどなく、腸の具合も悪くなってきて、
やはり、潰瘍性大腸炎の合併症の関節炎だったようです。。

その時点で、O先生から、
「半年休学しなさい」
と言われ、マヤは目の前が真っ暗に。。。


ところが、マヤの場合、ステロイドにとてもよく反応するので
プレドニンを飲んだら、すぐに症状が治まりました。

休学と言われて暗くなっているマヤを見て、O先生は、
「長期入院させたら精神的にまいってしまって、
逆に、病気の回復に悪影響が出るかもしれない」
と、結局、半年の休学はやめて、1ヶ月程度の入院で
退院させてくれました。

ステロイドもまだ切れていなくて、しばらくはムーンフェイスでしたが、
その後、比較的すぐに、ステロイドはやめることができました。

それからは、食生活に気をつけるようになり、栄養学的なことも
勉強したりして、きちんとした食事を取るようになったところ、
それまでは、たまにしかなかった生理もすっかり順調になったり、
かなり健康的な生活を送るようになりました。


その後、大学卒業までは、部活にも打ち込み、とても充実した日々、
好きなことをやって、ストレスもなく、良い友人にも恵めれ、
今思えば、人生で最高の時だったように思います。

ただ、相変わらず下痢や血便は慢性的にあり、疲れた時などは
便器が真っ赤になることもありましたが、部活の合宿なども普通に
参加できたし、ステロイドは飲まなくても、サラゾピリンだけでどうにか
やっていけていました。


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1978年(16歳)

さて、高校はどうする?ということになり、
周りからは絶対に無理(体力的にも学力的にも)と言われていた、
家から1時間半もかかる進学校を希望。

当時は、重症ではないけれど、炎症反応(CRP)や血沈は、
退院させるほど良くならない状態がずっと続いていましたが、
主治医は、
「大丈夫とも、ダメだとも言えない状態だから、
まぁ、もしダメだったらすぐに戻ってくればいいよ」
と言ってくれました。
後で聞くと、多分、すぐ戻ってくるだろうと思っていたそうですが。

無事に希望の高校に合格し、今までの入院生活が一変して、
朝7時前には家を出るという、ハードな生活を送ることになりました。
冬なんか、朝日の昇る前に家を出て、家に帰り着くことは
日が沈んでいます。
なので、高校時代は、部活などする余裕は、もちろんなくて、
通学するだけで精一杯。ひたすら帰宅部でした。

入学したばかりのころは、母が心配して、送り迎えをして
くれたこともありましたが、徐々に体力もついてきて、
駅から30分程度の道のりも、毎日歩くようになりました。
歩くことが、整腸効果と体力作りにもなったように思います。


一応、地元の病院で薬をもらうことになっていたのですが、
通院の時間もなかなかとれなくて、だんだん面倒になり
サラゾピリンと整腸剤だけで、ステロイドからは離脱していたので
通院もやめてしまいました。

ただ、恵命我神散という漢方薬だけは飲み続けていました。
この漢方薬は生薬ガジュツが主成分で、とても苦くて匂いもキツく、
あまり好きではありませんでしたが、薬局で勧められて、
母が買ってくれていたので、仕方なく飲んでいました。

最近になって、ガジュツは注目されていて、実はとても良いものを
飲んでいたんだなと、今になって感謝しています。
潰瘍治療、血液浄化、肝臓、歯周病、抗酸化作用、デトックス効果、
ダイエットにも効果もあるみたいだし、、また飲みたいかも^^;

※この記事を書いた後、恵命我神散を飲み始めました。
やはり、とても調子が良いです。漢方薬・サプリのページ参照。


血便や粘液便、下痢にはもう慣れっこになっていましたので、
それ以上、急激に悪化しなければまあよしとする、というような状況で、
症状はずっとありましたが、普通に生活していけるという状態でした。

ただ、朝は、時間との戦いなのに、なかなかトイレから出られなくて、
いつも駅には「滑り込みセーフ!」といった戦いの日々でしたけどね。

毎日、遠距離通学で疲れていて、授業中は居眠り常習犯でしたが、
体調を崩して学校を休むということもなく、高校3年間は、
奇跡的に無事、遠距離通学を果たすことができました。

毎朝5時に起きて、奇麗なお弁当(友達からは豪華弁当と呼ばれていた)
を作ってくれた母には、本当に感謝です。


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1976年(14歳)

マヤは、もともと食が細い上に、病院で出る食事がアレルギー食だったし、
嫌いなものも多かったので、相変わらず栄養失調気味。
(食事のメニューは、病院食にしては良い方だったんだけど)

それでも、まあまあ安定した状態で、中学2年になったころ、
そろそろ退院しましょうかという話も出始めていました。


養護学校では、学級委員や、色々な役員なども引き受けるようになって
あれこれ活躍していたのですが、何でもやりたい出たがり屋なくせに
ストレスにはめっちゃ弱いという性格。

たくさんの仕事を抱え込んでいくうちに、案の定、ストレスが溜まりまくって
しだいに体調が悪くなってきました。

関節炎(右股関節と左の膝)が悪化して、車イスで通学するような状態に
なっていたのですが、さらに、胸が苦しくて、横になって寝られないほどに
なってきました。

主治医は、最初にレントゲン撮った時は所見がなくてわからなかったけど、
しばらくして、ますます苦しくなってきたとき、急に気がついたように
再度レントゲンを撮ったところ、心臓が2倍くらいに肥大していたのです。

心嚢炎(しんのうえん)、または、心膜炎ともいわれる病気で、
心臓と心臓を包む膜の間に水が溜まる病気です。

とにかく息ができなくて苦しい、横になるとますます息ができないので
夜も座ったまま寝るしかありませんでした。

治療は、副腎皮質ステロイド剤を点滴で24時間投与。
最悪は、針などで直接溜まった水を抜くことになるそうですが、
薬だけで無事に、おしっこがたくさん出て、急激に回復しました。

ステロイドって、副作用も強いかわり、本当に劇的に効く薬ですね。
おかげで、潰瘍性大腸炎の方の状態も、とても良くなりましたが、
顔もパンパン、ムーンフェイスもしっかり復活です。

1週間ほどで心臓に溜まった水もなくなり、ステロイド投与も終了。
顔も、ほどなく元に戻りましたが、UCの症状も、また元どおり。。


そんなこともあって、退院予定もすっかり延期となってしまい、
結局、中学卒業まで、4年間もの長い入院生活を送ったのでした。


私が退院してからは、病院では方針を変えて、長期入院はさせず
出来るだけ早くに退院させるようになったそうです。


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1973年(11歳)

そんなこんなのズルズル生活を3年ほど続けていましたが、
今度は、右足の股関節と左足の膝に関節炎の症状が出てきて、
歩くことも難しくなってきました。

それで、ずっと通院していた病院に、また入院しましたが、
前回の入院は小児病棟だったので友達もできて楽しかったのに、
今度は、まだ6年生だというのに、大人の病棟。

まわりは寝たきり老人ばかりでした。
当時は完全看護ではなく、付添いさんという人が常に部屋にいて、
お年寄りの世話をしていました。

夏だったので、その付添いさんがいつも、洗面器に水を汲んで
そこでスイカを冷やしていて、いつもマヤにもくれるのですが、、、
マヤは、潰瘍性大腸炎(プラス関節炎)で入院してるってのに、
腐ったスイカをくれるのには参りましたね、、、

しかもトイレは2つしかなくて、1つはずっと故障中。
マヤがトイレで苦しんでいたら、行列ができてヒンシュクをかい、
肩身の狭い日々でした。
それに比べて、今は、どこの病院もシャワートイレ完備で
素晴らしく恵まれていて、有難いことです。


症状の方はというと、ステロイドを飲めば良くなるけれど、
減らすと元に戻る、の繰り返し。

先生も、いい加減、手あまし状態だったとみえて、
「そろそろお盆になるけど、どうする?」
と聞かれたので、
「帰りたいです」
と言ったら、あっさり退院になりました。

その1ヶ月間の入院中、1度もお風呂に入らなかったのが
自分の中で記録です。。
当時の入院ってそんなもんだったんでしょうね。
そのころのマヤは、干からびていたので、汗臭くもならなかったです。


退院しても、まだ体調が良くなかったので、学校もそのまま休みっぱなし。
で、さすがにこれは、何とかしなくてはということになってきました。

母は、その昔、大学病院で「こんなことくらいで来るな!」
みたいに怒られてる患者さんを見たということで、
大学病院には、そう簡単に行ってはいけないと思っていたようで、
しかも、当時は、大学病院というところは、誰か偉い人のコネとか
紹介状がなければ、かかれないところ、という感じでした。

マヤの場合も、どこぞのコネで、助教授に紹介状を書いていただき、
それでやっと、大学病院に入院して治療を受けることになりました。
当時は、大学病院へはJR特急で5時間もかかりました。


入院したその日、マヤがあまりにも干からびているので、
「取りあえず、すぐに点滴!」と主治医の指示があったのですが、
途中で、これは慢性的な干からび(?)なんだということが判明し、
点滴は中止。

潰瘍性大腸炎やクローン病の場合、絶食療法が今では一般的ですが
幸か不幸か?当時は、まだそんな治療法はなかった時代なので、
マヤは絶食療法はやった経験がないのです。
そして、やはり頼みの綱は、ひたすらステロイド(プレドニン経口投与)。

食事は普通に食べていたのですが、ある時、アレルギーの検査をしたところ、
なんと、牛乳、卵、鶏肉、大豆、小麦粉アレルギーという結果が出ました。
ジンマシンが出るわけでもなし、何の自覚症状もないというのに、、、

その後はずっとアレルギー食になってしまい、好きな食べ物はほとんど
禁止になってしまったため、かなりのストレスでした。
(だから今、トラウマで、食べ物に執着する性格なのかも・・・)
それでなくても栄養失調気味だというのに、ますます食欲ナッシングです。
でもまぁ、今考えてみたら、絶食よりははるかに良かったですね。


その大学病院の入院も6ヶ月を経過し、
すっかり主(ぬし)になってしまいました。
しかし、やはり難病は手ごわく、
いったん良くなっても、ステロイドを減らすと、
また元の木阿弥になる、といった繰り返し。エンドレスです。

それで、ある程度症状が落ち着いた状態で、
養護学校が併設されている病院へ転院することになりました。
ネフローゼ(腎臓病)や小児ぜんそくなどの
病弱虚弱児が入院しながら勉強もできるという国立療養所です。


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1970年(9歳)

このまま田舎の病院に通い続けていても、さっぱり治りそうもないので、
大きな病院できちんと検査した方がいいということになり、
その年の冬に、少し離れた都市にある総合病院に入院しました。

当時は、まだ内視鏡もない時代だったので、直腸鏡という
金属製の筒みたいので検査して、体位もかなり恥ずかしいもの
(婦人科検診の時の体勢です・・・)でした。
まあ、小学生だからよかったかもしれないけど、、、

子供用の検査器具ではないので大きかったというのもあり、
先生(小児科医)が慣れてないということもあり、なかなか大変でした。

余談ですが、、、
内視鏡専門医じゃない先生って、注腸バリウムのときなんか、
これでもかってくらいバリウムと空気をどんどん入れるもんだから、
耐えきれずに検査中に一気にぶちまけちゃったことありますぅ。
(私のせいじゃないもんね~と開き直るしかない。。;;)

大人になって専門の内科にかかってからの、ベテランのN先生や
S先生の検査では「え?もう終り?これで大腸全部見たんですか?」
と、物足りないくらいに、苦痛のない検査で感動したものです。


で、その病院での検査の結果、ついに潰瘍性大腸炎と診断されたわけですが、
その病院でも、はじめてのUC患者だったため、治療方針なども
まだ定まっておらず、手探りの治療といった感じでした。
今ならインターネットで何でも調べられるんですけどね~

1ヶ月ほど入院してステロイドを服用し、改善したので退院。
そして、症状が治まったからといって、
一気にステロイドをやめたため、すぐに再燃。
その後は、結局またしても、ズルズルとプレドニンを飲み続ける日々。。。

私の少し後に、近所の子が同じような症状になって同じ病院に
入院したのですが、その子の治療では、先生も慎重に薬を減らして、
うまく完治させたようです。
(その子は、UCではなかったのかもしれないけど)


かなり経ってから(1年後くらいかな)、サラゾピリンが追加されました。
「ドイツでこんな薬があるんだよ。
外人の喉のサイズにあわせてて大きいけど、頑張って飲んでみてね」
てな感じでした。


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1970年(8歳)

当時、マヤは小学3年生。
これといった病気もせず、おおむね健康でしたが
かなり食の細い子供でした。
朝ごはんもあまり食べず、排便は週に1回くらい。

給食の時間が苦痛でしたね~
よくいるんですよね、、、
給食全部食べるまで遊んじゃダメっていう先生。
それってマヤにとっては、ほんと、ストレスでした。

更に、3年生になり担任が変わり
2年生までは、優しい女の先生だったのが、
今度の担任は、返事をきちんとするまで許してくれない;;
って、それは普通のことなんだけど、

2年生までは、モジモジ黙っていても許されたのが、
わからないなら「わかりません」とか、
ハッキリした答えをしなくてはならなくて、
それまた、子供心には、かなりのストレスだったのです。


そんな日々の中、あれは忘れもしない夏の日。
その日は、プール開きでした。

朝、トイレに行ったら、珍しく下痢で、便器を汚してしまったのです。
(水洗トイレじゃなくて汲み取り式の時代です)

母に言ったら「掃除しとくからいいよ~」ってことだったのですが、
便器を見てビックリ!!
色といい、形といい、まるでトマトケチャップそっくりの血便!!

当時は、潰瘍性大腸炎なんていう病気はまったく無名だったので、
まずは赤痢を疑われ、検便検査しましたが、結果は陰性。

血便がでる1ヵ月くらい前から腹痛があり、近所の病院で風邪と診断され、
風邪薬を飲んで、何となく治ったような気がしていたのですが。。。


今回は、風邪と診断された病院とは違う、同じ町内の少し遠い病院へ
行ったところ、病名は腸性紫斑病と診断されました。

マヤはあまり覚えていないのですが、
太ももの内側に紫斑ができていたようです。
実際、最初はアレルギー性の腸性紫斑病だったのかもしれません。

そのころしっかり治療しておけば、もしかしてUCにならなかったかも?
と思ったりしますが。。。


治療法としては、ひたすらプレドニン(ステロイド剤)を投与です。
そして、食欲モリモリで、完璧なムーンフェイスとなりました^^;

当時は、現在のように、ステロイド剤の危険性に対する認識も浅く、
かなり長期間にわたり、大ざっぱにプレドニンを飲み続けていました。
しかも、診察なしで、投薬だけしてもらっていたのです。

ある日、いつものようにお薬をもらいに行ったら、
「ずっと診察していないから、今日は診察していってください」
と看護婦さんに言われて、しばらくぶりに診察したところ、
「だいぶ副作用出てるね~」と、先生から言われたのを覚えています。



先日、当時の友達に小学校以来、はじめての再会をしたのですが、
「あの頃のムーンフェイスしか覚えていないから、
 今の顔見ても思い出せない、、」
と言われてしまいました。。。;;
「お母さんは昔と全然変わらないね」って、、、
んなこたぁないだろうに。。。^^;


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