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| はじめにお読みください |  病 歴  |  プロフィール |

1997年(35歳)

今回は、手術時にリザーバーを腹部(おへその左)に埋め込んで
肝臓へ直接抗がん剤を投与する、5-FUリザーバー肝動注療法を
やることになりました。
肝臓の動脈につながるカテーテルから、直接抗がん剤を投入するので、
全身への副作用が少なく、且つ、肝臓のガンを効果的にやっつけられる
のだそうです。

今回の入院では優秀な新人の先生が主治医の一人になっていて
その先生が、いつもリザーバーに抗がん剤点滴の針をつなげてくれて
いたのですが、いつも汗をかきながらすごく真剣にやってくれて、
ある時なんか、力が入りすぎて、押されすぎて痛いと思ったら、
針の先が思いっきり曲がっちゃったりしたこともあったり^^;

抗がん剤の副作用は、多少は胃がムカっとしましたが、
吐き気というほどでもなく、クールミントガムを噛んでいれば、
どうにか我慢できたので、車酔いと同じ程度のものでした。

それで元気そうにしていたら、主治医の先生たちに、
「マヤさん、ほんっとーに、具合悪くないの?」とか聞かれたり。

そのころマヤは、プロポリスの信者(?)でもあったので、
けっこう高価なプロポリスを飲んでいて、そのお陰もあって
抗がん剤の副作用が、緩和されていたのかもしれません。

そんな元気な患者だったので、リザーバーからの治療は
1クールほどやって、順調に退院しました。


退院のとき、若い先生方は、「絶対3か月後にはCT検査するべき」
と力説していたのですが、こんな状況でも、執刀医のS先生は
「最初は6か月後でいいです」とクールにキッパリおっしゃる。
本当に無駄な治療、無駄な検査をしない、すごい先生です。

でも、若い先生は、マヤの若さじゃ、絶対3ヶ月以内に再発するだろう
と確信していたようで、S先生の方には取りつく島がないもんだから、
私に向かって
「マヤさん、お願いだから、もっとマメにCTやって~」
って、、私に言われてもね~~~、、決めるのS先生だから。。^^;


そんなこんなで退院して、何回目かの通院の日、
S先生が、おもむろに、
「調子はどう?」と聞いたので、
「ずいぶん良くなりました」と元気に答えたら、

「じゃあ、そろそろやろうか、治療」

って、、、

がーーーん。。。

外来でもリザーバーからの抗がん剤治療をするなんて、
そんなの聞いてなかったよぉ~;;
去年の手術の時は、外来での治療は一切なかったので、
今回もそのつもりだったのに、、、
でも今回は、再発ということなので、そう簡単な状況では
ないようでした。。。
※ちなみに、ガン患者に対して「治療」というのは
抗がん剤をやることを意味します。


例によって、マヤは「やらなくていいです」って言ったんだけど、
S先生も、こればっかりいは譲れないという感じ。
無駄なことをしないS先生がやるって言うんだから、絶対必要なんだろうな。。

そういえば、通院のたびに、フラッシュといって、リザーバーの
カテーテルがつまらないうように、生理食塩水を通してたっけね。
抗がん剤治療に使うから、フラッシュしてたんだ。
(って、当たり前のことに気付かなかったマヤって、、、^^;)


で、次回から治療をするということになり、取りあえずその日も、
フラッシュをしたのですが、今までに感じたことのない、何とも言えない
モヤ~~~ッとした不快感が、肝臓のあたりに走りました。

「気のせいかな?」と思って、その時はそのまま我慢したのですが、
次回の通院時、いよいよ抗がん剤を入れましょうということで、
その前にフラッシュをやったところ、これは気のせいじゃなくて、
間違いなく不快感が強かったので、先生に言って、治療は一旦中止。

造影検査で確認してもらったところ、肝臓の動脈に入っているはずの
カテーテルの先の位置が、ずれていることが判明しました。

「カテーテル、入れなおすんですか?」と、マヤが聞いたところ、
S先生は、「いや、治療は中止します」と、アッサリ。

ということで、外来での治療は止めになり、使い物にならなくなった
リザーバーを、腹部に入れっぱなしということになりました。

マヤは、他の患者さんから聞きかじった話を持ち出して、
「カテーテルって、癒着して取れなくなるって聞いたんですけど」
って言ってみたら、S先生は、
「取れなくても、問題ありません」と、キッパリ。
取れなくてもいいんですね、、、ハイ、了解しました。。^^;


それにしても、「さあ、今日から治療開始しましょう」というときに、
カテ先がずれたという、ありえないラッキーな現象。
このとき絶対、神の救いの手が動いたに違いない、とマヤは思いました。

なぜかと言うと、今回の再発の手術のあと、さすがにこのままでは
もう後がない(病院の一般的な治療だけでは、確実に死ぬ)と感じたので、
知り合いの紹介で、東京の珠光会診療所へ行って、ハスミワクチンという
免疫療法を始めていたのです。

今はハスミワクチンも進化して、病院の治療との併用を勧めていますが、
それでもやはり、白血球の数が多い方が、ワクチンの効果が出やすい
ということは確かだと思ったので、白血球を減らす抗がん剤治療は、
できれば避けたかったのです。


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1997年(35歳)

当時の大学病院では、担当チームの先生が4~5人(主治医軍団)と、
その他に、執刀医の指導医(S先生)が担当となっていました。

主治医の先生方は、お忙しいにもかかわらず、1日に何回も何回も、
入れ換わり立ち替わり回診というか、顔を見に?来てくれます。
執刀医のS先生来るのは、週に1回程度で、教授回診なみでしたが。

教授はとても朝早く出勤する人だったそうで、他の先生方は、みんな、
教授より遅く来るわけにいかず、あまりにも早く巡回にやってくるのです。
朝6時半とか、まだ顔も洗ってない、、
っていうか、まだ寝てるっつーの^^;

それに、1日に何度も回診に来てくれるのは有難いけれど、
そんなに何回も会っても、いー加減、同じこと言うのも面倒になってきて、
先生方が来る時間の最低1回は、朝シャン&朝シャワータイムにして
居なくなって、わざと会わないようにしてたり。

毎日、朝シャンなんぞしてたおかげで、
すっかり元気だと思われていたわけですが、、、

実際には、肋骨2本切断して肝臓の腫瘍を摘出したので、
右脇腹から背中にかけて、ものすごく痛くて、夜は横になって寝れなくて
一晩中、座りっぱなしだったりで、かなりしんどかったです。

去年の手術のときは、何かにつけ、はじめてだったので
「あっち痛い、こっち痛い」と訴えまくって、しまいには看護師さんや
主治医たちにも、「うるさい患者」とレッテル?貼られたけど、

今回は、もうすっかり手術は慣れっこになってるので、
「このくらいの痛さなら我慢できる」というラインが、マヤなりにわかり、
去年とは別人のように、辛抱強い患者に変身していたのです。


点滴も、マヤの場合は、漏れていなくても必ず痛くなってくるんです。
最初のころは、それが自分の体質だとわからず、いちいち刺し直しをして
もらっていたのですが、そのうち、これって血管痛なんだと気づきました。

針を刺した日は、漏れてるとしか思えなくらい痛いのですが、
3日くらい我慢し続けていると、なぜか痛みが治まってくるということを
発見して、それからは、かなり痛くても我慢することにしました。
(点滴は一度針を刺したら、そのまま1週間位は、ずっと刺しっぱなしです)

でも、たまたま、本当に漏れていたこともあって、それを我慢してたら、
ちょうど回診中に、「パシッ!」と音がして、点滴のチューブを固定している
テープが、腫れてきた手に耐えられず、はじけ飛んだこともありますが。。

ま、ベテラン患者(?)のマヤとしては、点滴の痛さくらいは、
蚊に刺されたようなもんで、どってことなかったのですが、、、


今度は、だんだん息ができない苦しさが、日増しに強くなってきて、
さすがのベテランも、いよいよ我慢の限界という状態になってきました。

1年前の手術の後は、滲出液を外に出すためのドレーン(ペンネとか
カラーストローそっくりなのが、お腹のあちこちに突き刺さっていた)を、
「今日は何センチ」って感じで、毎日、ちょっとずつ抜いていって、
「もー、いーかげん、さっさと抜いちゃってくれー!」って感じだったのに、

今回は、脇腹のチューブから、まだ袋にたくさん滲出液が溜まるのに、
一気に抜かれちゃったんですよね~
「えー! もう抜いちゃうの!?」
先生曰く、「体内で吸収してくれるから、大丈夫」って、、、
大丈夫じゃなかったです。。。

めっちゃ息が苦しいのに、ちょうど休日だったりして、
なかなか検査もしてもらえず、
やっとのことで、レントゲン撮ってくれたら、
肺にかなりの水が溜まっているのが判明。

「元気そうだから、こんなに溜まってると思わなかったよ~」だって。
「だ~か~ら~! 苦しいって言ってるのにぃ~~~!」
とマヤは怒りましたよ。

背中から針を刺して水を抜いたら、出るわ出るわで、500ccはありました。
「これぞ、まさに、アクアラング(水肺)だね~」って、、、
しょーもないジョーク、言わないでくださいよ。 ほんとにもう。。


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1997年(35歳)

大腸全摘と肝臓左葉摘出手術から約1年が経過し、体力もすっかり回復。
バリバリやる気も出て、調子にのって、海外旅行にまで行きました。
毎日が充実していて、マヤの中では、もう、すっかりガンは治った気に
なっていました。

CTの定期検査の時期だったので、何にも考えずに
お気楽に検査を受けたんですけど・・・

CT検査のときは、診察は無しなので、次回1ヶ月後くらいの通院時に
結果を聞く予定だったのですが、検査の数日後に思いがけず
S先生から電話がかかってきました。

S先生の大ファンのマヤは、「きゃ~☆先生♪こんにちわ~」
みたいなノリだったのですが、、、

S先生のお言葉は、
「シコリができてるから、手術しよう。とにかく、早めに受診して」
と、、、
お気楽なマヤには、まるで青天の霹靂でした。

というか、逆に、再発を全然考えていなかったマヤが、
お気楽過ぎたんでしょうね。。。

そのS先生の言葉を聞いて、マヤは、もう、これ以上痛い思いを
するのも嫌だし、どうせ治らないんだろうから、
「もういいです・・・」
と返事をしたのですが、
S先生は、
「少しでも長生きしないと。前回も手術して命もうかったでしょ」
みたいなことを言って説得してくれて、
結局、仕方なしに、しぶしぶ病院へ行きました。

そして、今回は、S先生の強力なお力で、緊急患者ということで、
他のベット待ちの人たちを押しのけて、即刻、入院となりました。

入院してから病室の人に、
「緊急が入ったからって、2週間も入院が伸びたんだよね~」
とか言われて、
「それって私ですぅ、、すみません~」
って感じで、ほんと申し訳なかったです。。


今回の癌は、肝臓の、前回の手術で残した右葉の下の方に、
直径5センチという大きな腫瘍と、2センチほどの腫瘍の2つでした。
5センチの癌の方は、上から触っただけでも、石が入ってるみたいに
硬い塊があって、触ってみれば、マヤにもはっきりとわかるものでした。

それでも、手術で摘出が可能ということで、前回の肝臓の手術は、
主治医のS先生が執刀してくれましたが、今回は、難しい手術のようで、
肝臓専門の別チームの先生がオペしてくれることになりました。

前回の手術で、左葉はすべて切除して、右葉しか残っていないので、
今回は、腫瘍をくり抜く手術になるということでした。

場所的に、肋骨を切断しなくては取れない位置だったので、
担当チームの先生からは、
「どの位置からやるか検討中です」とか言われましたが、
あとから聞いたところでは、肋骨2本切断して、横から切除したそうで、
「すごい恰好でのオペだったから、筋肉痛になってない?」なんて
言われたりしたけど、麻酔で寝てて、脱力してても、筋肉痛になるのかな?


それと、手術の前の検査で、卵巣が腫れている(卵巣のう腫)のも
問題になって、癌の転移の可能性もあるから、右卵巣もついでに摘出
することになっていました。

この卵巣が腫れているというのは、数年前からわかっていたことで
産婦人科では、妊娠のせいかもしれないから、様子を見ましょう、
ということになっていましたが、出産後も腫れは治らなかったのです。

ついでに摘出って、そんな簡単に取っていいの?って感じでしたが、
まあ、卵巣は2つあるから、1つ取っても問題ないそうで。。

ところが、オペが終わった後、担当チームの先生の説明では、
「肝臓で時間が掛かり過ぎて(12時間くらいかかってたみたい)、
さらに卵巣も取るとなると、プラス3時間かかるので、
手をつっこんで卵巣を触ってみたら、しっかりしてて、捻転の
心配もなさそうだったから、取るのやめました」
とのこと。 ラッキー♪(なのかな・・・?^^;)

今もときどき、右の腰が痛くて卵巣が気になるから、
本当は取った方が良かったのかも。。。


同室の人たちでも、手術を繰り返している人も何人かいましたが、
主治医から
「癒着がひどくて、もうこれ以上、手術できないからね~」
なんて言われていたので、マヤも気になっていましたが、
「マヤさんの場合は、ほとんど癒着してなくて、
 癒着しづらい体質なんですね」 
と言われました。 
うーん、、これは、ラッキーだな^^

傷痕も残りづらい体質みたいで、メガネかけよく見ないと
どこ切ったんだったか自分でもよく見えないくらいです。
縦と横バッテンの3本で、すごく長い傷なんですけどね。


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1996年(34歳)

ストーマ(人工肛門)ではありますが、自然肛門も残っているので、
そちらの方からも粘液がたくさん出るのが、けっこう大変でした。

T病院に入院していたときに、看護師さんが、とても親身になって
「どうしたらいいだろうね~」と、あれこれ考えてくれて、
「試しに、湯タンポでお腹を温めてみたら?」
と提案してくれたのですが、、、
やってみたら、お腹の活動が異様に活発になってしまい、
残念ながら、逆効果でした。。

粘液が漏れるので、尿取りパットを当てていたのですが、
あるとき、「オヤ?」と気付いたのは、
粘液が出るときは、いつも一緒に、黒い物体?も出てくるのです。

「何だろう???」と思って、それを良く見てみると、、、
それは、なんと、糸の「結び目」でした。
その「結び目」が、毎回、1~3個ずつ出続けて、全部合計すると
30個くらいは出たと思います。

糸の結び目は、肛門だけではなく、腹部の傷からも、出てきてました。
傷の治りが悪い部分があって、ジグジグして盛り上がってきたので、
バイ菌が入って化膿したのかな?と思っていたのですが、
日に日に、中から黒いものが現われてきたので、恐る恐るピンセットで
引っ張ってみたら、なんと、糸だったので、かなり驚きました。

それも、数回ありました。
自然にポロッと取れたこともありましたが、見えているのに、なかなか
取れなくて、外来でS先生に、ピンセットを傷口に突っ込まれて、
グリグリかきまわして、引っぱり出してもらったこともあります。

手術でお腹の中を縫合するときは、溶ける糸を使っているので、
普通は糸が出てくることなないのですが、どうやらマヤの場合は、
縫合に使った糸が体質的に合わなかったらしく、数か月にわたって、
糸の結び目が、肛門とお腹の傷から出続けたのです。

糸がみんな出てしまうと、自然肛門からの粘液も急激に解消し、
いつまでも治らなかった腹部の傷も、すっかりキレイになりました。

人間の身体の、異物を排出する仕組みって凄いものですね~


あと、大学病院に入院していたころから、ずっとなのですが、
朝起きた時、手の関節がとてもこわばるので、T病院の整形外来で、
リウマチの検査をしてもらいましたが、RAの結果はマイナスでした。
(リウマチはないけど、腱鞘炎の気はあるね~と言われましたが・・・)

後になって、ふと気づいたのですが、長年にわたって飲み続けていた
ステロイドを止めたため、軽いステロイド離脱症候群で、そのような
症状が出たのではないかと思います。

大学病院での大腸全摘出の術後、若い先生が毎日、点滴の中に
注射器でステロイドを追加しに来てくれるのですが、
その量が、どんどん減っていくのを見るのは、本当に嬉しかったです。

ステロイドと完全に縁を切れたことを思うと、関節のこわばりくらい、
何てことないですね。
そのこわばりも、数か月後には、すっかり良くなりました。


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1996年(34歳)

大学病院は取りあえず退院したものの、なんせ大腸がないので、
とにかく毎日が超下痢で、脱水症状が続いていました。

水分補給しなくてはと思って、無理をして水を飲むと、
せっかくおさまっていた腸の蠕動運動が、活発に始まってしまい
飲んだ水の、倍の量くらいの水様便が出てしまうのです。
なら、いっそ飲まない方がマシ、、、というような状況でした。

胃も腸も、もう内蔵全部がムカムカしているような感じで、
食べ物も飲み物も受け付けない状態だったし、
胸苦しさや強烈な全身倦怠感など、、何とも表現しようのない
苦しさが襲ってくるのです。

その具合悪さに耐えられず、夜中に病棟に電話して、
処置室で点滴してもらったことも、何度かありました。

その時、当直だった新人のK先生に
「喉の奥までカラッカラに乾いて、苦しくて寝れないんです」と言うと、
「じゃあ、水のめばいいでしょ」
とあっさり言われて、ムカついたりもしましたが、
K先生には、車でマヤの家まで送ってもらったりしたので、
まぁ、許すことにします。。悪気なく、単におとぼけな先生なので。。。
のちに K先生とは、がんセンターで再会するという腐れ縁です。

そんな日々に、もう耐えられなくて、通院日にS先生に、
思い切って、「入院させてください!」とお願いしたところ、
その場ですぐに、家の近くのT病院に連絡を取ってくれて、
ナントその日に入院することができました。

そのころのマヤの体重は37キロでした。(身長は158センチ)
現在は、いくらダイエットしても50キロ以下になりません。。。


T病院は、とてもゆっくりとした空気が流れ、まるでホスピスのような
雰囲気の所でした。

クリスチャン系の病院なので、朝6時には、牧師さんが信者さんの
病室をチリンチリンとベルを鳴らしながらまわったり、
朝の申し送りのときには、看護婦さんたちが歌う賛美歌が
ナースステーションから聞こえてきたりします。

マヤも、死ぬ時は、仏教のお経で送られるより、クリクリスチャンの
讃美歌の方が素敵でいいな~、、、なんて思ったりしちゃいました。


大学病院は活気溢れていて、病室のドアにかかっているカーテンの下
から見える廊下の、看護師さんや先生の足は、いつも走っていましたが、
T病院の病室から見える廊下の風景は、モップで掃除してるおばさんとか、
足の骨を折った彼女が、面会に来た彼氏とスキンシップ?している様子
とかで、大学病院とはまったく違う世界が繰り広げられていました。


マヤの入った病室は3人部屋で、私以外の人は胆石でしたが、
後には、乳がん末期で、腕がパンパンに腫れてしまっている方
なども入院されてきました。

その病院で、毎日点滴をして、ひたすらゆっくりと静養。
自宅では、どうしてもあれこれ動かなくてはならなかったけど、
何もしないで点滴をしている生活は
「なんてラクちんなんだろう~♪」と、身も心も癒される思いで、
本当に楽になれました。

脱水症状による具合の悪さも、ウソのように良くなって、
食欲もずいぶんと出てきて、病院の隣にあるコンビニにオヤツを
買いに行くくらい元気を取り戻すことができました。

T病院では、特にお風呂が良かったです。
けっこう大きいお風呂なのに、ストーマのマヤのために
わざわざお湯を入れ替えて、一人で使わせてくれたのです。

あまりにも心地よかったので、長時間入りすぎて、貧血を
起こしかけたこともありますが・・・。
手術をする前は、貧血なんて起こしたことがなかったので、
今のマヤは、長時間お風呂に入ると貧血になるんだと知り、
それからは、長風呂をしないように、気を付けました。

お風呂と言えば、ちょっと余談ですが・・・

大学病院に入院していたときは、ひたすらシャワーでしたが、
そのときも、「毎日、どこそんなに洗うとこあるの?」と、
言われるくらい入っていました。(だってヒマだったから・・・^^;)
シャワー室の前のボードに名前を書いて予約すれば、30分単位で
使用できるのですが、マヤは、いつも同室の友人の名前を借りて、
1時間ほど使わせてもらっていました。


がんセンターの時は、大風呂に10人くらいずつ入ったのですが、
ほとんどが乳がんのオペ済み方たちだったので、胸があるのが、
逆に変、、というか居心地悪いような雰囲気でした。

そんな中で、同じ大腸ガンだったIさんという方が、更衣室で
着替えているマヤのところに、いきなり近寄ってきて、
「私も、今度、人工肛門になるんだけど、どんなものなのか、
マヤさんのを見せてもらえませんか?」
と言われたのにはビックリしました。

Iさん以外にも、乳腺の方にも、「勉強のために見せて」と言われ、
マヤのストーマを数人の方に公開しました。
みんな、現実を受け入れていて、本当に偉いな~!と敬服でした。


その後、口腔外科で個人病院(といっても大病院なんだけど)に
入院したときは、シャワー室があるのに、しっかり鍵がかけられていて、
使えない状態になっていて、入浴日は週に1回だけ。
で、マヤは手術日と重なってしまったので、結局1週間以上お風呂に
入ることができず、くっさい身体で退院しました。。。
入院するなら、これからは個人病院は絶対避けようと思ったのでした。

余談が長くなり過ぎました。。


T病院での、毎日の点滴と、ひたすらノンビリ寝てるだけの生活の
ラクちんさに、いつまでも浸っているわけにもいかないので
20日間ほどで、退院させてもらうことにしました。

マヤは、「今度こそ、もう大丈夫」と自信があったのですが、先生は、
また悪化しないようにと、定期的に通院で点滴をしれくれました。

先生や看護師さんには、とても良くしていただいたのですが、、、
T病院は建物が古いため、どうも雰囲気が暗くて、
マヤ的には通院のたびに気が滅入りがちでした。

それで、せっかく紹介してもらって、T病院の先生も、すっかり引き受けて
くれた雰囲気だったので申し訳なかったけど、、、
「やっぱり活気に溢れた大学病院がいい!」
との気持ちの高まりを抑えきれず、結局また、大学病院へ通院して、
崇拝するS先生の元へと、戻らせていただきました。
S先生は、「あれ?また来ちゃったの?」って感じだったけど。。^^;


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1996年(34歳)

無事にイレウスも治まり、鼻の管も抜いてもらい、
体力的にも少し回復してきたところで、
いよいよ、点滴での抗がん剤治療がスタートしました。
癌の病巣は、目に見える範囲では、一応すべて取れたけれど、
目に見えないレベルの癌細胞に対しての、予防的治療です。

治療がスタートして3日目、さあ、そろそろ副作用の吐き気が
ひどくなってきそうだな、、、と、覚悟をしていたのですが、
なぜか、突然、「点滴は中止します」とのお告げが!?

「ラッキー♪でも、どーして?」

と不思議に思っていたら、なんと、、、

「肝臓に転移しているのが見つかったから」

とのことでした。。。

これから肝臓も手術しなくてはならないので、肝臓の状態を
少しでも良くしておくために、抗がん剤の治療は、一旦、
中止ということになったのです。


肝臓転移の病巣は左葉でしたが、肝臓全体の中心に近い場所で、
ほとんど見えないくらいの、小さな腫瘍でした。

CT検査では、1cm程度の間隔で輪切りに撮影されるので、
「大腸手術の前のCTで、見落としたんじゃ?」って思ったのですが、
S先生によると、「前回はなかったもので、速いスピードで転移が
広がっているから、急いで手術する必要がある」とのことでした。

そうは言っても、世の中、ちょうどお盆に突入しようという時期。

看護師さんは、「今、オペが込み合ってるし、お盆が近いから、
一旦退院して、オペは、お盆明けになるんじゃないかな~」
なんて言っていたので、マヤものんびり構えていたら、
その週のオペ室の割り振りを決める術場会議の結果、
なんと、マヤの手術は最優先で、その週にすぐにやってもらえる
ことになりました。
若いし進行が速いから、緊急にオペが必要ってことで、
ノンビリしてられる状況じゃなかったようです。。。


肝臓転移の手術では、左葉をまるごと摘出ということで、
肝臓全体の40%くらいを取ったそうです。

そんなにたくさん取ったのに、術後に摘出した癌を見せられた
家族の話によると、豆腐のかけらみたいな白い小さなもので、
「これがガン?」って感じだったそうな。。

よく、肝臓は切っても再生するから大丈夫、と言われていますが、
左葉全部を取った場合は、左側は再生せずに、その分だけ、
右葉が大きくなるんですね。
術後、数ヵ月後のCTの画像を見ると、左葉のあった部分は空洞で、
右葉が倍くらいの大きさになっていて、腎臓を圧迫していました。
(腎臓に特に影響はないそうです)


当時の大学病院は、担当チームとして4~5人の主治医が付き、
さらに、その上に、指導医である執刀医が付くという形態で、
マヤの崇拝するS先生は指導医でしたので、週に1回くらいしか
回診には来てくれず、話も主治医経由なので、ほとんど直接
話す機会はありませんでした。

さて、マヤの手術はお盆時期に行われたため、
担当チームの先生方は、マヤの手術が終わるまで休暇が取れず、
手術が終わったと同時に、一斉にお休み体制に入ったようです^^;

なので、術後の痛みが最高潮のときに、担当チーム以外の先生が
モルヒネ(痛み止め)打ちに来てくれました。

モルヒネというと、何だか怖い薬というイメージがありますが、
痛み止めとして短期間使うには、本当に優れた薬です。
手術後は、背中に刺した針から硬膜外麻酔で、持続的に痛み止めの
薬がピンポイントで患部に効くようにしてくれるのですが、その時に
モルヒネを追加してくれると、劇的に痛みがなくなりました。

肝臓の手術は、斜めに切るので痛いと聞いていたけれど、
大腸手術の傷に比べると、本当にめっちゃ痛かったです。

痛くなるとナースコールして、先生がモルヒネ入れてくれるんだけど、
そのうち、大して効かなくなってきたので、マヤは先生に
「モルヒネ減らしたでしょ」って突っ込んだら、「バレたか^^;」って。
モルヒネが切れるとすぐに痛みが倍増するので、モルヒネ入れてる
ふりして、徐々に減らされているのが、ハッキリわかりました。


肝臓の手術は、かなり出血が多くて、成分輸血もしていたので、
今回もあまり「歩け♪歩け♪」とは言われず、甘やかしてもらいました。

それにしも、寝たきりだと、とにかく背中が痛い。
湿布なんてあまり効かないものだと思っていたけれど
バカにしたもんじゃないですね。湿布にすがる日々でした。


肝臓の手術後は、当然、肝機能を示す数値(GPTなど)が高く、
黄疸も出ていたので、若い先生がそれ対応の薬を出そうとしたら、
ベテラン執刀医のS先生が、「手術したんだから数値は悪くて当たり前。
黄疸も出て当たり前。だから薬は必要なし」と言っていたのを聞いて、
そのころから、S先生の無駄のない診療に、ホレボレしていたマヤです。

肝臓の手術は、大腸の手術と違って、食事も比較的すぐに
食べられるようになり、その後10日ほどで退院となりました。

こんな大手術を2つもして、もう退院?って感じでしたが、
大学病院の病室は、とにかく入院待ちが列をなしてるわけで、
やること(手術)済んだら、さっさと出て行ってくれってな状況ですね。
ていうか、あんまり私があれこれうるさいもんだから(あっち痛い
こっち痛いとか、早くドレーン抜いてくれ、とか、、)、主治医の一人が
実際に、「さっさと帰れ」と言いましたね。ったく。。。
そんなこんなで、まだフラフラだったけど、とにかく退院。


お医者さんって、「運動も何でもして良いし、食事も何でもOK」
って、どういうわけか、たいてい甘いことを言いますね。
マヤの場合も、そう言われたのを真に受けて、退院した日に
揚げ物を食べたら、みぞおちあたり痛くて大変な目にあいました。

長期間、IVH(中心静脈栄養補給)で絶食していて、
胆汁を出していなかったせいで、胆のうに泥のようなものが
溜まってしまっているとのことだったので、そのせいかも?


それ以来、医者の言うままじゃなくて、ある程度自分の判断で
自己管理することも大切なのだと悟ったのでした。


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1996年(34歳)

手術後、全身麻酔から覚めた後は、ものすごく頭が痛くて、
吐き気もひどく、口の中も痰がからまるような感じで
最悪に具合が悪かったです。
(2回目の手術の時は、麻酔の薬をかえてくれたので
吐き気などは、ずいぶん楽でした)

今回の手術では、痔瘻(じろう)も一緒に手術してもらったので、
お尻やらお腹やら、どこもかしこも痛くて本当に大変だったし。

それにしても外科って、本当にスパルタ式。
だって、大腸全摘という大手術の次の日から、歩かせるなんて、
普通に考えたら、ありえないよぉ~;;
担当医なんて、マヤの顔見るたびに「歩け♪歩け♪」って、
楽しそうに言うし。
歩くことによって、回復が早まるし、イレウス(腸閉塞)や癒着も
防ぐ効果があるらしいんだけどね。。

手術の次の日は、まずは、尿管を止めて、オシッコを我慢する
練習をして、問題なければ、管をはずしてトイレへ。
マヤのいた回復室からトイレまでが、これまた遠かった。
しかも、なぜかいつも、使用中なのです。。

85歳くらいの高齢のおじいちゃんが、いつもそのトイレを使って
いたのですが、めっちゃ元気そうで、何の手術したの?っていうか、
その歳で手術しなくてもいいんじゃない?みたいな^^;

それでマヤは、いつもトイレの外で待たされることになるのですが、
立っているのがつらいので、看護師さんがイスを持ってきてくれて
座って待っていました。

おじいちゃんが、やっと出てくれて、マヤは便座に座ったのですが、
その途端、目の前が真っ白になり、急激な吐き気が!!
手探りでやっとナースコールを押して、看護師さんを呼びました。

看護師さんは、すぐに飛んできてくれて、白衣のポケットから
ビニール袋を取り出し、そこへゲロを吐くマヤ。。。
どうやら貧血を起こしたようです。

吐いてる最中に、もう一人別の看護師さんも、来てくれて、
ロックされていたスライド式のドアを、無理やりこじ開けて、
入ってきてくれました。
それにしても、看護師さんのポケットって、いつもビニール袋が
入っているんですね。ホント、助かりました。


そんなことがあった次の日からは、部屋に簡易トイレを置いて
もらえるようになり、ずいぶん楽になりましたが、、、
それで歩く練習が足りなかったせいなのか、どうなのか、、、

日に日に回復していくはずが、逆に、日を追うごとに
お腹の痛さが増してきたのです。
マヤが、部屋の簡易トイレで真っ青になって苦しんでいたら、
ベテランの看護師さんがたまたま部屋に入ってきて、
「そんなに痛かったっけ?」と、言われ、
「もしかして!」ということになり、レントゲンを撮ったところ、
やはり、イレウス(腸閉塞)でした。

内臓というのは、もともと空気に触れるようにはできて
いないので、長時間の手術で空気に触れた場合は、
高確率でイレウスになるのだそうです。


それで、例によって、記憶のなくなる痛み止めの薬を使って
造影しながら、イレウスチューブを鼻から入れる処置をしました。

マヤは、何よりも、この鼻から管を入れるのが、大っ嫌いなので
いっそのこと、麻酔で寝てる状態で入れてと頼んだのですが、
起きている時じゃないと、管は入っていかないんだとか。


そこから、地獄の鼻管生活がはじまりました。
普通のチューブでも嫌なのに、イレウスのチューブは、
ひとまわりサイズが太くて、すっごい存在感があるのです。

しゃべるときは、鼻の奥にあたって刺激されて気持ち悪くなるから
いつも、チューブを手で持って、あたらないようにしてましたが、
それが、何日も何日も続くわけなので、すんごいストレスで、
もう、発狂もんでした。。

それでも、そのチューブが十二指腸まで届いて、ちゃんと機能して、
溜まったガスなどを引けるのならまだしも、実は、チューブの先が
胃でたごまさっていて、出てくるのは胃液だけという有り様。

ところが、チューブを入れたのが刺激となったのか、
突如として腸が活動をはじめて、どんどん便がパウチにたまるようになり、
急に楽になったのです。
こんな刺激で腸が活動を始めるのなら、もしかしたら、
カイロでお腹温めても活動してくれたかも。。。


ガスと液状の便がどんどん出てきて、パウチ(人工肛門の袋)が
はちきれそうになるくらいなんだから、もう鼻管はいらないでしょ。
「とにかく、一刻も早く、チューブ抜いて~!」と、お願いしても、
「もし、イレウスチューブを抜いたら、また腸の活動がとまるかも
しれないから」とか言って、なかなか抜いてもらえなかったのです。
こういうところが、いかにも大学病院っぽくて嫌だったな。
上の先生の許可がないと、勝手なことできないって感じで。


そんな状態だったり、ストーマ(人工肛門)の処置の練習などもあり
1か月くらい個室に入れてもらって、ベッドもエアーマットレスを
入れてくれたので、寝たきりでも床ずれなしで、ありがたかったです。
当時、潰瘍性大腸炎は、特定疾患の公費全額医療負担だったので、
入院費用もかからなかったし。

その後、大部屋に戻ってからは、あまりのベッドの固さに耐えられず、
毛布以外に、掛け布団をもらって、それを敷き布団として使わせて
もらいました。マヤは、尾てい骨が出ているので、固いベットだと
骨が痛くなるのです。


それにしても、このころはマヤも、まだ今みたいに根性すわって
いなかったので、精神的にも肉体的にも、ボロボロの状態でした。
まだまだ手術初心者(?)だったので、どのくらいの痛さなら
我慢するべきなのか、とかがわからず、いちいち看護師さんを
呼んでいたので、けっこうウルサイ患者だったと反省してマス。。

その後、オペを重ね、ベテラン患者になるとともに、次第に
辛抱強く、たくましい患者へと変貌していくマヤなのでした(笑)

次は、肝臓転移へと続きます。


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1996年(34歳)

大学病院への入院予約から、約1ヵ月半。
忘れたころにやっと連絡が来て、入院となりました。

その間、プロポリスなどを飲みまくり、もしかして
癌が消失もしくは縮小してるんじゃ?なんて、はかない希望を
抱いたりしていましたが、、、品質の悪いプロポリスを飲んで、
逆に、胃の具合悪くなっただけでした。。


大学病院へ入院後の、大腸ファイバー(内視鏡検査)では、
UCのガン合併ということで、内科の学生なのか研修医なのか
わかりませんが、検査室には、ズラ~っとたくさんの人たちが
所狭しと並んで、見学していました。

ところが、N先生のところでは、何の苦痛もなく入った内視鏡が
このときは全然入っていかず、ものすごく痛くて、出血するばかり。

マヤは「痛い!痛い!」と騒ぎまくるし、検査をしていた先生は
焦りまくりで、ベテランの先生に交代。
それでも入らずに、細い内視鏡に変えたそうです。
(痛み止めの薬のせいで、このあたりから記憶がまったくない)

マヤは、腸の状態が映し出されている映像を、この目でしっかり
確認したかったので、横向きの体勢で頑張って見ていたのに、
全然記憶がないのです。。。;;

痛み止めの点滴を打ちながらの検査だったのですが、
あの点滴を打つと、検査中の記憶がまったくなくなってしまう
ということが、後から何度か同じ経験をして、わかりました。
気づいたら、いつの間にか検査が終わり、自分のベッドで寝ていて、
なぜか床頭台の引き出しが全開になってたりして、驚いたことも。


さて、検査の結果ですが、、、
直腸に3つほどのガンがあるということ。
ギリギリで肛門は残せる位置だけれど、肛門付近の筋肉が変形
しているため(長年の炎症のせい?)、どうしようか考えています、と、
執刀医のS先生が言っていました。

そのことを、お見舞いに来て下さった内科のN先生に伝えたら、
「やっぱり永久人工肛門になるんだね・・・」と解釈されましたが、
そうではなく、どのように吻合しようかということでした。


執刀医のS先生は、とても腕の立つ先生で、S先生との出会いは
本当に奇跡としか思えません。

術式は、直腸粘膜切除・回腸嚢肛門吻合術(IAA)というもので、
大腸を全摘出、直腸は粘膜をすべて切除。
そして、回腸(小腸の末端の部分)を2つ折りにして、直腸のかわりに
便をためる袋(Jポーチ)を作り、肛門につなげるという手術です。

かなり高度な手術らしく、当時は兵庫医大などの、UC専門の病院
でしかできないと思われていて、北海道からわざわざ兵庫医大まで
手術を受けに行った人もいるということを、後で知りました。

当時の北海道で、この手術ができるS先生に出会っていなかったら、
マヤは、間違いなく永久人工肛門になっていたでしょう。
それか、ガンで死んでいたかのどちらかでしょうね。。


手術は、リンパ節も切除したため、9時間ほどかかりました。
麻酔から覚めかけて、朦朧としているマヤに、外科の先生が、
「マヤさーん!N先生が来てくださっているよー」と、
叫んでいたのを覚えています。

N先生は、開業医なのに、わざわざ紹介して下さった後まで
心配して、お見舞いに来て下さったリ、手術日にまで来て下さって
本当に、感謝しています。お見舞いの時には、大江健三郎の
「恢復する家族」という本を持ってきて下さって、その内容は、
病気を認め、受け入れ、そして癒される気持になるものでした。

元気になったら、ご挨拶に伺おうと思っているうちに、、、
N先生は、私より先に、肺がんで亡くなられてしまいました。。。
運命って、本当に皮肉なものです。。。


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1996年(34歳)

出産後は、慣れない育児で忙しくしていたため、
潰瘍性大腸炎の検査は2年以上サボっていました。
いつもなら先生に言われて、しぶしぶ検査していたのですが、
育児で忙しそうだからと、先生も遠慮してくれていたそうです。。

やっと少し、子育てにも余裕ができてきたとき、珍しく自分から、
そろそろ検査でもしてみるかな、という気になって
大腸ファイバー(内視鏡)と注腸バリウムをやることにしました。

そのころは、下痢や粘血便もあまり見られず、自分としては
けっこう良い状態でした。いつになく硬さもほどよい便だったし。
ただ、少し細くて、形がいびつに筋がついていたりしましたが、
調子良かったので、まったく気にもとめませんでした。


ところが、大腸ファイバーの検査の時、映し出された映像には
素人のマヤにもハッキリわかる、キノコ状のものが・・・。
それを見た瞬間、N先生の顔色が変わって、相当ヤバそうな
雰囲気が伝わってきました。
これってポリープ? このせいで、便がデコボコしてたんだ。。。

その時のN先生説明は、
「ポリープがたくさんあって、ガンになりかかっているから
手術しなくてはダメだね」とのことでした。

先生は、精一杯、気を使って言ってくださったようですが、
家に帰ってから、いただいた紹介状を透かして見ると、
画像の説明の所には、しっかりと、【Ca】と、書かれていました。
Cancer つまり れっきとしたガンだったようです。


発病してから10年以上経過した全大腸炎型のUC患者は、
一般の人より大腸がんを合併する危険性が高いというのは
知っていたので、あ~あ、やっぱりきたか。。。という感じで、
それほど大きなショックはありませんでした。

マヤの場合は、潰瘍性大腸炎歴が25年以上だったので、
ガンになって当然だな~という思いでした。


数日後、N先生に書いていただいた紹介状を持って、
大学病院の消化器外科を受診しました。
外科外来では、まずは若い先生の予診。そして次には、
これまた、若くてカッコイイ助教授の先生の診察。

外科って、内科と全然雰囲気違って、ちょっと感動しました。
内科の先生方って、優しくて穏やかなイメージが強いですが、
外科は、バリバリの精鋭って感じで、頼もしい~♪
内科は、治るまで気長~~~に病気と付き合いましょう的な
ところがあるけど、外科は、悪いところはサッサと取って
白黒はっきりつけちゃいましょう、みたいな感じ?

余談ですが、先日、母につきそって内科に行ったら、
内科の先生方の、穏やかで優しい話し方に感動~!
すっかり、外科ナイズされていたマヤには、久しぶりの内科が
逆にとっても新鮮で、先生方の気遣いに癒されました。


話は戻りますが、助教授の先生の診察を待つ間、
看護婦さんに、上半身すべて脱ぐように言われて、バスタオルに
くるまされたのに、助教授の先生は、造影のときの画像と紹介状を見て、
後は、診察らしい診察もほとんどせずに、即、入院の予約となりました。

ところが、、、
その時期は、たまたまベット待ちが特に混んでいたようで、
入院するまでに、結局、1か月以上も待たされる羽目になりました。

入院を待っている間、手持ちのプレドニンが切れたので、
もう大学病院の患者になったんだからと思って、薬をもらいに
大学病院を受診しました。

その日の外来の担当は、若い先生で、
「今日はどうしました?何かありましたか?」と、
かなりビビった様子というか、困ったような感じでしたが、
マヤが、「薬をもらいに来ただけです」と言ったら、
えらくホッとされていました。


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