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関節炎を併発して大学病院に入院

1973年(11歳)

そんなこんなのズルズル生活を3年ほど続けていましたが、
今度は、右足の股関節と左足の膝に関節炎の症状が出てきて、
歩くことも難しくなってきました。

それで、ずっと通院していた病院に、また入院しましたが、
前回の入院は小児病棟だったので友達もできて楽しかったのに、
今度は、まだ6年生だというのに、大人の病棟。

まわりは寝たきり老人ばかりでした。
当時は完全看護ではなく、付添いさんという人が常に部屋にいて、
お年寄りの世話をしていました。

夏だったので、その付添いさんがいつも、洗面器に水を汲んで
そこでスイカを冷やしていて、いつもマヤにもくれるのですが、、、
マヤは、潰瘍性大腸炎(プラス関節炎)で入院してるってのに、
腐ったスイカをくれるのには参りましたね、、、

しかもトイレは2つしかなくて、1つはずっと故障中。
マヤがトイレで苦しんでいたら、行列ができてヒンシュクをかい、
肩身の狭い日々でした。
それに比べて、今は、どこの病院もシャワートイレ完備で
素晴らしく恵まれていて、有難いことです。


症状の方はというと、ステロイドを飲めば良くなるけれど、
減らすと元に戻る、の繰り返し。

先生も、いい加減、手あまし状態だったとみえて、
「そろそろお盆になるけど、どうする?」
と聞かれたので、
「帰りたいです」
と言ったら、あっさり退院になりました。

その1ヶ月間の入院中、1度もお風呂に入らなかったのが
自分の中で記録です。。
当時の入院ってそんなもんだったんでしょうね。
そのころのマヤは、干からびていたので、汗臭くもならなかったです。


退院しても、まだ体調が良くなかったので、学校もそのまま休みっぱなし。
で、さすがにこれは、何とかしなくてはということになってきました。

母は、その昔、大学病院で「こんなことくらいで来るな!」
みたいに怒られてる患者さんを見たということで、
大学病院には、そう簡単に行ってはいけないと思っていたようで、
しかも、当時は、大学病院というところは、誰か偉い人のコネとか
紹介状がなければ、かかれないところ、という感じでした。

マヤの場合も、どこぞのコネで、助教授に紹介状を書いていただき、
それでやっと、大学病院に入院して治療を受けることになりました。
当時は、大学病院へはJR特急で5時間もかかりました。


入院したその日、マヤがあまりにも干からびているので、
「取りあえず、すぐに点滴!」と主治医の指示があったのですが、
途中で、これは慢性的な干からび(?)なんだということが判明し、
点滴は中止。

潰瘍性大腸炎やクローン病の場合、絶食療法が今では一般的ですが
幸か不幸か?当時は、まだそんな治療法はなかった時代なので、
マヤは絶食療法はやった経験がないのです。
そして、やはり頼みの綱は、ひたすらステロイド(プレドニン経口投与)。

食事は普通に食べていたのですが、ある時、アレルギーの検査をしたところ、
なんと、牛乳、卵、鶏肉、大豆、小麦粉アレルギーという結果が出ました。
ジンマシンが出るわけでもなし、何の自覚症状もないというのに、、、

その後はずっとアレルギー食になってしまい、好きな食べ物はほとんど
禁止になってしまったため、かなりのストレスでした。
(だから今、トラウマで、食べ物に執着する性格なのかも・・・)
それでなくても栄養失調気味だというのに、ますます食欲ナッシングです。
でもまぁ、今考えてみたら、絶食よりははるかに良かったですね。


その大学病院の入院も6ヶ月を経過し、
すっかり主(ぬし)になってしまいました。
しかし、やはり難病は手ごわく、
いったん良くなっても、ステロイドを減らすと、
また元の木阿弥になる、といった繰り返し。エンドレスです。

それで、ある程度症状が落ち着いた状態で、
養護学校が併設されている病院へ転院することになりました。
ネフローゼ(腎臓病)や小児ぜんそくなどの
病弱虚弱児が入院しながら勉強もできるという国立療養所です。


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